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出産には夫として立ち会い、その中で思うことが沢山あったので、今回記事にしてみた。
今までで一番書きたいと思ったことであり、これから人の親にならんとする世の中の男性に読んでもらい、少しでも出産をイメージしてもらえたらと思っている。
イメージしてもらいたいのは出産シーンではなく、出産時にどのようなことが起き、夫として何ができるのかを想像して、
心の準備をしてもらえたらということ。
人それぞれ出産の流れも違うし、奥さんが求めていることが違うというのはもちろんではある。
それでも、ボクの経験を知っておいても損はないと思っている。
出産予定日がやってきた
出産予定日がやってきた。でも、産まれそうな気配はない・・・
でも嫁は、一緒に住んでいる大阪から高知に里帰り出産のために帰省しているため、LINEでのやり取りで状況を把握していました。
嫁は、あまり遅らせるのもイヤだということで、一日に何時間も歩きまくったり、たまにダッシュを盛り込んだメニューで運動していたので、
どんな精神状態なのか想像つかなかったけど(汗)
予定日の翌日には、一度病院に検診に行くことになり、まだ産まれる気配がなかったため、予定日の翌日に入院することになった。
入院するということは、人工的な処置をする予定であるということ
「入院しても、陣痛がきているわけでもないからすぐに産まれるわけじゃないだろう」
と思っていた。
だが、職場のママさん達に相談してみたところ、ボクの考えは甘かった。
入院するということは、近々出産させるということらしい。
促進剤を打ったり、ある程度人工的に出産させるつもりであるということを聞いた。
なるほど。言われてみれば、入院して何日も病室を専有するわけにもいかないですし、それなりの計画があっての入院ということは、当たり前っちゃ当たり前か・・・
とりあえず先生に今後の予定を確認したところ、職場のママさん達の言う通りで、入院して少ししたら促進剤を使う予定とのこと。
というわけで、入院した次の日にボクは大阪から高知に向かうことに。
大阪から高知の病院に移動
大阪から高知へは電車で向かった。片道約4時間ほどかかる距離で、それなりに自分一人で考える時間があった。
移動の時間中に嫁本人から陣痛が始まったという連絡があって、道中気が気じゃなかった。
本人がLINEするということはまだ余裕あったということかな?などと考えて、できるだけ不安にならないように自分に言い聞かせていた。
そもそもが、夜中には弱めの痛みがきていたようで、その日のお昼には陣痛が強くなり、陣痛室に入ったとのこと。
陣痛室に入る前に促進剤を使ったようだ。
自分ができることは一体なんだろう?
今更ながら、自分ができることって何だろうかと考え始めた。
陣痛がきて苦しんでいる嫁の元に向かう道中、ネットで陣痛室の様子がどのようなものなのかという誰かのブログを読んだりして、
自分が何をやるべきなのかを整理していた。
もちろん普段から、知り合いのママさん方に相談したり、ネットで調べたりして、準備はしていたつもりだった。
こんなピンポイントな状況の人に役立つ記事を書いてくれているそのブログの著者に感謝した。
やはり、男性である夫ができることは限られている。
あとは現場に行って、思いつく限りのことをやろうと決めた。
あとは、湧いて出る不安を打ち消すために時間を費やした。
出産自体、赤ちゃんだけでなく母体にも何があるか分からないというものであるわけだから、
赤ちゃんだけでなく、嫁のカラダのことも心配だ。
とにかく母子ともに健康でありますようにと願い続けた。
到着!そして陣痛室へ
お義父さんが駅まで迎えに来てくれていて、車で病院に向かう。
そして看護師さんに案内されたのが「陣痛室」だった。
嫁にはお義母さんが付き添ってくれていた。
こんなに苦しむ姿を見たのは初めてだった
陣痛室に入るも、嫁は激しい陣痛の痛みと闘っていたが、ボクを見て、名前を呼んでくれた。
でも、ベッドに横になりながら5分~10分おきに激しい痛みがやってきており、ボクは何をすれば良いのか分からなかった。
こんなに苦しそうな姿を見たのは初めてで、状況を受け入れるまで時間がかかってしまった。
「背中をさすってあげよう。」
もうこれしかなかった。
陣痛がくるたびに、嫁の背中をさすった。
吐き気もあるみたいだったが、どうしたら良いのか分からなかった。
嫁:「さするの難しいよね・・・」
ボク:「え?痛い?」
さすり方が痛いわけではない。
ボクのさすり方が下手だったのだ。
ボクがさする度に吐き気をもよおしていたみたいだ。
だから、背中から下に下げるようにさする方がイイかもと、お義母さんに言ってもらって初めて気づいた。
自分がしていた行動は、余計に苦しませてたかもしれない行動だったこと。
そして、こんなに苦しんで追い込まれている時にもかかわらず、嫁はボクのことを気遣った言い方をしたということも。
「なんて優しい子なんだろう。そして、この子に自分は一体何をしてあげれているのだろう。」
嫁に対してこんな思いが込み上げてきて、泣けてきたし、これから自分が必ず守っていかなくてなという思いも湧いてきた。
夜中も10分~15分おきに陣痛との闘いが続いた
お義母さんには待合室で仮眠してもらい、夜中はボクが陣痛室に付き添うことにした。
興奮していたからなのか、なぜか眠くなかったというのもある。
だけどそれ以上に、自分ができることをやりたいという思いがあったからだ。
嫁も陣痛が定期的にやってくるため、まともに眠れていない。
陣痛の波がくる度に激痛に苦しんでいる。
ボクができることは、腰をさすってあげて、水を欲しがったタイミングで飲ませてあげることだった。
さするのは背中ではなく、もっと下の腰が痛くなるとのことで、腰をさすって欲しいということを嫁に直接教えてもらった。
そんな中で、痛みの波がくるわずかな時間で、ふとボクの存在に気づいて嫁は言った。
「夜中にごめんね。」
嫁はこんな言葉を何度もボクに言い続けていた。
痛みで苦しくて寝れない、この状況がいつまで続くのか分からない。
そんな状態の中で、ボクのことを気遣う嫁に、また泣かされそうになった。
今はボクが泣いてる場合ではないし、むしろボクがいることで安心させてあげないといけない状況だったので、何とかこらえた。
でも、何度も思った。
「嫁と子どもは自分が必ず守っていかないといけない」って。
今までここまで思う機会はそんなになかった。
強いて言えば、結婚のタイミングだったかな。
ようやく分娩室へ!
闘いは約3日続いた。
分娩室に入るまで、まさかの3日かかった。
嫁の体質的に、産道が硬かったからか、赤ちゃんが産道を下りにくかったのが原因のようだった。
母子の体力のこともあって心配だったが、陣痛がきて3日目の昼間にようやく、分娩室に入ることに!
ここまでが長かった・・・
血を見ても平気?
嫁さんが分娩室に入ってから30分以上経った。
「状況が分からないけど、大丈夫なのかな?」
「立ち会えるのかな?」
こんなことを考えていると、ようやく看護師さんに呼ばれて、分娩室に入室する準備!
そこで、血を見ても大丈夫かと看護師さんに確認された。
「大丈夫なはずですけど・・・」
としか言えなかった。
いざ、手を消毒して、帽子とエプロンをして入室!
一瞬の出来事!
分娩室に入った時点で、嫁さんはすでにかなりの出血があり、それを見たボクは顔をしかめてしまった!
そのボクの表情を見て、また別の看護師さんに大丈夫か聞かれた。
大丈夫かどうかを聞かれたのは嫁さんではなく、ボク自身。
男性は女性と違って血を見ることに慣れていないため、気分が悪くなったり、気を失ったりする人もいるそう。
ボクは大丈夫だったけど!
でも、嫁さんが大量に出血しているのを見て、平気な顔ではいられなかった。
分娩室に入室したあとも、嫁さんにどのように声をかけたら良いかが分からないまま数分が過ぎ、
看護師さん:「旦那さん見てて!産まれるからちゃんと見てて!」
え!?そんな急に!?
すると、赤ちゃんがニュルッと出てきた!
出てくるときは一瞬だった!
感動の瞬間
赤ちゃんは産まれてすぐにオギャーと産声をあげ、先生にへその緒を切られて、血をタオルで拭いてもらい、母親の元へ。
もちろん母親である嫁は泣いていた。もちろんボクも泣いていた。
その後は赤ちゃんはお風呂でカラダをキレイにしてもらって、体重、身長、頭の大きさやらをはかってもらっていた。
それらの作業中は自由に写真を撮らせてもらうことができた。
そして、体重などをはかる作業が終わったらすぐに、赤ちゃん、嫁さんと一緒に記念撮影させてもらった!
こういうのは病院ごとに違うんだろうなと思ったんだけど、先生や看護師さんがみなさん協力して撮影してくれたりと、最高の産婦人科さんだった!
産まれた直後は涙が溢れるもの?
赤ちゃんが産まれ出てくる瞬間は、本当に一瞬だった。
その後、我が子の鳴き声を聞いた途端、涙が溢れてきた。
感動してジワジワと涙が出てくるというより、ポロポロっと流れ出てきた。
本当に不思議な瞬間で、言葉でうまく伝えることができない。
これは立ち会ってみないと分からない感情なのかもしれない。
実感は未だにあまりないもの
出産には立ち会ったけど、嫁と子はまだ高知にいる。
産後1ヶ月くらいは高知で過ごす予定で、大阪ではまだボク一人だ。
そんな今、実際に出産の瞬間に立ち会ったにもかかわらず、
この世界に自分の子がいるという実感はまだあまりない。
涙が溢れ出たとか言いながら、未だに自分の子が産まれたという実感がない。
子供と一緒の時間を過ごしていくうちに、実感がわいてくるものなのかな。
もちろん嬉しいには嬉しいし、どうやって育てていこうかなという思いもあるし。
ただ、実感はまだあまりないが、自分の人生について深く考える大きなキッカケになったことは間違いない。
子どもが産まれるというこの大きなイベントは、「自分の人生が自分だけのものではない」ということを再認識させられた。
自分の価値観に対するインパクトの大きさでいえば、結婚よりも大きなものだった。
将来絶対に後悔しないために
出産で一番大変なのは、もちろん母親となるアナタの妻であり、この世界に産まれてくる赤ちゃんです。
父親となるアナタは、実際に奥さんと代わって子どもを産むこともできないわけだし、妊娠してから出産まで、できることは限られています。
これは紛れもない事実です。
アナタには、家族を養うための仕事があります。
その仕事を簡単に休むわけにはいかないでしょう。
だからといって、「もし仕事が休めたら出産現場に合流できたら良いかな」という程度で出産のことを軽く考えていませんか?
特に初産時は、奥さんも初めての経験なので、できるだけ一緒にいてあげるのが良いです。
ただ一緒に、そばにいるだけで、奥さんは安心できるのです。
いつまで続くか分からない陣痛の苦しみと闘う中、ただ一緒に居て、背中をさすってあげるだけでも奥さんからしたら安心なのです。
「頑張って背中さすってあげた!」
というような、やってあげた!という気持ちではなく、限られたできることは全てしてあげるという気持ちが大事なのです。
ボクも、さすり過ぎて腕が筋肉痛になりましたが、あの陣痛の痛みを乗り越えた嫁さんの前ではそんなこと言えるわけもありません(笑
自分が辛い時、パートナーがどう動いてくれているのかということを奥さんは見ています。
産前産後の記憶は、良い悪い関係なく、パートナーの行動をかなり鮮明に覚えているものだとママさん方から嫌というほど聞かされました(汗)
今後の夫婦関係を悪くしないためにも、何より頑張っている奥さん、お子さんのためにもできることは全てやりましょう!
何より、頑張っている奥さんのため、産まれてくる子のために、父親として恥じない行動をしたいところです。
ちなみに、会社は強引に休むくらいの気持ちで嫁と一緒にいてあげましょう!
ボクは4日間休みました。
出産が長引いたというのもありますが、仕事もかなり前倒しにしておいたりと事前に準備しておいたのも大きかったです。
職場で何を言われようが、できる限り一緒に居るつもりでした。
「仕事」を免罪符として言い訳に使う父親になりたくないからです。
今回、嫁は里帰り出産のために高知に帰って、自分が産まれた病院で自分の子を産みました。
将来、娘は何を思うのでしょうか。
「ママと同じ病院で自分も産まれたんだ。ということは、自分もいずれ子供を産むときがくるのかな。母親になるのかな・・・」
「自分が産まれるとき、パパとママは、どのように過ごして、何を思ったんだろう」
出産時に夫(男性)はどうすべき?
・奥さんが陣痛で苦しんでいるときに、そばに居てあげること!一緒に居てあげること!(女性によっては一人にして欲しいという人も居るので注意)
・「仕事」を言い訳にして出産そのものに関わらないということは絶対にするな!
・出産する本人以外はできることが限られているからといって、他人事にするな!
・奥さんにとっては、自分や赤ちゃんのことをどれだけ考えての行動なんかという、「旦那さんの姿勢」を見ている!
産まれてくる子にとって、親として恥じない行動をしよう!
そう考えれば、何をすべきかは自ずと浮かんできます。
この記事を読んでくださったみなさんの奥さん、お子さんが健康であることを願っています。
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